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沿革

1926年(昭和2年)、教文館と日本基督教興文協会が合体し、新たに「教文館」(英語名をChristian Literature Society of Japan)を創設しました。

1933年(昭和8年)に株式会社教文館としての法人格を取得する際に、教文館の株主団体の設立が要請されます。そこで、株主団体としての日本キリスト教文化協会が設立されるに至りました。創立当初は理事が24名、半数は日本基督教連盟から選ばれ、残り半数はキリスト教ミッション連盟から選ばれました。

その後、1949年(昭和24年)に政府の認可を受け、財団法人日本キリスト教文化協会としての活動を行っています。

教文館を生み出したのは、アメリカから日本宣教のため派遣されてきたメソジスト監督教会(当時は、美以教会あるいは美以美教会と呼ばれた)の宣教師たちでした。キリスト教禁教の高札が降ろされた一八七三(明治六)年、日本伝道の志に燃えた宣教師たちが相次いで日本に上陸しましたが、その中には、すでに中国伝道で経験を積んだR・S・マクレーほか四人の宣教師とその家族がいました。

かれらは宣教団を結成し、横浜、東京、函館、長崎に分かれてその働きをはじめましたが、一年もすると、賛美歌や信仰問答書、教会規則などの必要を感じ、さっそく翻訳に着手しました。

最初の書物と思われる伝道文書『真の神様乃御恵の端書』は一八七五(明治八)年、『メソヂスト教会問答』が次の年、デビソンの『讃美歌一』は一八七七(明治一〇)年に刊行されます。宣教団の伝道は進展を見せ、開始十一年目の一八八四(明治一七)年には、日本年会を組織することになります。教区も最初の四つから八つに増え、設立メンバーは、宣教師一三名に加え、日本人牧師も一九名になっていました。

一八八五(明治一八)年に第二年会が東京築地で開かれた折、H・I・コレル宣教師が、これまで雑書会社の名前で出版されたトラクトや書籍の配給・販売を管轄し、将来的には出版活動を行うための責任者を決めようという動議を提出し、一同の賛意の下、L・W・スクワイア宣教師が最初の出版代理人に選出されます。九月九日のことでした。これが教文館誕生の日です。